【法令を守るとは】
このことを、今年ほど考えさせられた年もありませんでした。
見たことも聞いたこともない敵に、どうやって立ち向かうのか。そのための、ルール整備が必要なことは明白です。
しかし、年が上の世代ほど「そんなルール作りより、まずは現実への対応が先だ。もたもたするな」みたいな空気を感じます。まさに「木こりのジレンマ」ですね。
https://webtan.impress.co.jp/e/2017/06/27/26149
では、なぜそうなっているのか。少し考えてみました。
これは価値観の変遷が、大きく影響しているのかなと思います。現在の私は、以下の価値観で行動しています。
個人>家族>会社>友人>地域社会
そこで振り返ってみます。
私たちの、おじいさん世代は「戦争世代」です。学校で、お国のためにあなたの命を捧げろ、と教育されて育った世代です。
ですから、価値観の「地域社会(国)」というのが一番上にきていました。ですから、この世代は「国」「地域社会」が一番上に来ています。
その名残なのか「地域を大切に」とか「隣近所へのあいさつは欠かさずに」みたく、物理的な距離に重きを置く人は、その名残かと思います。
父親世代になると、戦後の復興です。経済の立て直しが一番で、個人より家族より優先されました。
その当時は、運動会で会社を休む、なんて考えられません。ルールなんて守らなくても、まずは経済が大切、という下地もこのころに生まれたのでしょう。
そして、私の世代。そんな先人たちの努力の結果、
飢えてしまうかも
という感覚はほとんどなくなりました。
おじいちゃん世代が「生きていることへの感謝」
お父さん世代が「食えることに感謝」
してきた帰結として、私たちには上記の感情はだいぶ薄くなってしまいました。
そして、ただ生きているだけでいいのか、ということまで考えるようになり、人類が本来持っている「生きることが目的」では足りなくなってきたのです。
そんな私たちに必要なのが「夢」の存在です。
「生きるために生きる」では無しに「夢をかなえるために生きる」へシフトチェンジ、あえて進化と呼ばせていただきます。
そのためには、みんなが同じ時代を向いて画一的な「生きる」「食べる」という夢から、一人一人が多様性を持つようになりました。
これも、あえて進化と呼びますね。同じ夢の時代は、ルールとかを学ぶ必要性はありません。だって、同じ夢(生きる)なんですから。
ちなみに、そういう理由で「違ったもの」「違った考え」は排除されてきました。どんなことでも、負の側面はあります。
そういう人たちは、法律とかルールではなく「今までの常識」「今までそうやっていたのか」という判断基準を持っています。
法律が変わっても「今までこうやってきたから」という理由で、変化しようとしません。
しかし、これからの世代の「多様性のある夢」を達成するには、ルールの明文化と理解が必要なことは、火を見るより明らかです。
そして、このルールの変化を受け入れられない人たちに、夢を、夢の存在を見せることがこれからの時代の人に課せられた宿命だと思います。
なんといっても、先人がいるから、先輩がいるから今があり、あなたが、私が存在するのです。
そんな時に、ルールを学んでいくこと、よいルールを作り上げていくことがさらに重要になってきました。
そして、ルールは道具で、夢を達成するんだよ、一緒に達成しようと。
#夢を語れば笑われて声を上げればたたかれる
だけど、現実を見ると。
確かに、現在はコロナで成果中が真っ黒です。
#えんとつ町のプペル
だからこそ、「生きる」だけではなく「夢を持つ」ことの重要性が増してきました。
この黒い煙を吹き払うこと(無煙爆弾)ができるのが、夢の存在(ゴミ人間)ではないかと。
えんとつ町の物語では、ハロウィンの夜にやってきた~、ということになっているゴミ人間ですが、案外、ハロウィンの夜=映画を見た日、かな。
そして、夢を胸の内に「秘める」ではなく「声に出す」ことの重要性も理解しました。
年末はこれぐらいにして、夢は来年になったらここに書きますね。
そんな夢で、先人たちに恩返しできたら良いな。
少し早い年越しそばを、これから妻と食べに行きます。
その後は、2回目のえんとつ町のプペルを見に行きます。