【仕事は苦痛の対価か?】
日本古来の職業って、鍛冶屋とか八百屋と肉屋とか「家」と仕事は一緒でした。しかし、「工場に行く」と言いう職業で、概念が大きく変わりました。従来は、出来高と金銭(給料)を交換していたのですが、工場勤務は「時間」と金銭(給料)の交換になりました。
そのころから、なんとなく仕事は「苦痛に耐えた時間の対価」みたいな認識が広まった気がします。そして、それが進化して
・仕事なんだから我慢しなきゃ
・つらい仕事にこそご褒美がある
・仕事なんだから、ぐずぐず言わずにやろう
みたいな考えが出てきたと思います。それでも、父親世代のように「仕事をしなくては生きていけない」という世代には、説得力がありました。しかし、現代は「仕事をしなくても食える」時代です。仕事のために我慢する必要ななくなりつつあります。そして、何よりも私たち、いや父親世代から「そんな時代を夢として」頑張ってきました。
曰く「子供達にはこんな苦労はさせたくない」と歯を食いしばって頑張ってきたのです。
そして、かなりの部分が達成されているのが現代です。もう、仕事のために「辛さを我慢する」のは時代遅れなのです。
むしろ、辛さを楽しさに変えることが、重大な仕事です。仕事に楽しさを求めていくべきではないでしょうか。
画面を見ながら、出てきた画面を判断してキーボードを打つこれって、ゲームも仕事も共通だと思いません?それなのに、仕事は苦痛でお金をもらうから仕方がなくやる。
ゲームは、ぶっ通しで12時間やってもまだ足りない。
そこで、仕事をゲームのようにやる!
こういう考えを持ちました。では、ゲームの楽しさって何なのか?画面から瞬時に判断して、選択する→これはゲームも仕事も一緒判断の結果が常に「数字で評価される」(倒したとか倒されたとか)ここが、ゲームの楽しさですよね。仕事にない部分ですよね。
ならば、仕事の成果を常に数値化して、うまくいった、うまくいかなかった、がわかればそれってゲームですよね。金をもらわなくても、楽しいんですよね。
そんなことをできないか、データドリブンチームと考えています。