ブラック企業という表現があります。
調べてみると、以下のような表現が多いですね。
①労働法やその他の法令に抵触し、またはその可能性があるグレーゾーンな条件での労働を、意図的・恣意的に従業員に強いている企業、
②パワーハラスメントなどの暴力的強制を常套手段として従業員に強いる体質を持つ企業や法人
もちろん、我が社をはじめほとんどの会社はこれを不名誉と捉えていますし、
そうならない努力をしているところです。
①は簡単に言うと「法律に抵触するもしくはぎりぎりの働かせ方」
②は同じく「暴力的な強制力を行使する」
という意味でしょうか。
さて、これが適用される関係は
会社⇔社会
という土台の上に、成り立っているのだと思います。
そこで考えてみました。
会社⇔社員
という土台に「ブラック社員」はどんな人かと。
①を定義すると「会社のルールに抵触もしくはぎりぎりの働き方をする人」
②は少し難しいですね。この「暴力的」という言葉をどう解釈するかだと思います。
暴力的=抗うことができない
強制力=本人の意思は尊重されない
という風に言い換えてみます。改めて②を置き換えてみると
「SNSなどに会社の誹謗中傷をする人」
「社外で会社への文句ばっかり言ってるひと」
でしょうか。つまり、SNSや社外(会社が抗うことができない)ところで、
会社の意思を全く考えずに好き放題な発言をしている、と読み取れると思います。
ただし、会社でも社員でもブラックの意図するところは「度を越えた」というところは共通だと思います。
さらに言うと、暴力的とは「受ける人が決めること」で自分が決めることではないんですよね。
さて、社員の皆さんは会社に「ブラックではないこと」を求める権利があります。
しかしながら、その権利の主張のためには「自分がブラックではない」という義務を果たすことも必要だと思っています。
もちろん、その逆もしかりで会社が「自分がブラックではない」という義務を果たしてこそ、
社員に「ブラックではないこと」を求める権利があるのだと思います。
最近は「求人難」という事で、誰でも就職できる、みたいな状況になってきています。
しかし、「就職できる」と「活躍できる」は全く違いますし、
「幸せになる」に至っては「就職できる」は何の影響も与えないと思います。
(どの会社に入るかは大きく影響する)
そして、一定数のこの「権利と義務を理解できない大人」がいます。
その典型が、サウナで「退職金が少ないのは安倍総理のせいだ」と真剣に話している人たちです(これは実話です)
そして非常に厳しい話ですが、いくら求人難でも、いくら人が少なくても
「義務を果たせない社員に居場所はない」のが現実です。
もちろん、「義務を果たせない会社」も存続することができません。
いくら好景気になっても、です。
これは特に、若い世代ほど理解してほしいことです。
就職する<<<活躍する<<幸せになる
就職するだけを目的に置くのと、活躍する、そしてその先にある幸せになる、
を意識すると行動が変わると思います。
今日は日曜日ですが、少し辛目の話になりましたが、充実した人生を送るためにです。
私は、多くの社員がこの会社で活躍して幸せになれるように、全力を尽くします。
私が採用した社員に「悪い人」はいません。「ダメな人」もいません。
考え方が良くないために活躍しきれいていない人はいます。
この「考え方」を進化さえるためにも、この社員教育を充実させなくてはいけないですね。
まだまだダメ社長です。
頑張ります。