我が社では、毎年経営計画書を作成し、経営計画発表会を開催しています。
経営計画書には、経営計画発表会にあたってという文章があり、そこに自身の署名と押印をしています。
#思わず背筋が伸びる瞬間
今年も、その押印作業がやってまいりました。
その数なんと333冊!グループ会社も含めた社員、重要なステークホルダーを入れるとこんな数になるんですね。
#手が痛いが心地よい
今年は会社は40歳で、私は還暦の60歳です。人間の40歳には「歳祝い」というものをやる習慣があります。
もちろん、還暦は言うまでもありません。それを同時に迎えると言うのは、何かの縁を感じます。
この会社の40年を
1期ー9期
創業期10期ー19期
転換期20期ー29期
発展期30期−39期
○○○→ここは発表会当日までのお楽しみ
と言う形で振り返って見ました。
創業期は、私の父が創業して直接労務作業を中心に稼いでいました。
ガチな、肉体労働ですね。そのお陰で私は大学まで行くことが出来ました。
#私が大学2年の時に個人から法人になったみたい#そんなことは全く知らない能天気な学生だった
会社でいう8期に私が入社します。そして、そこから10年が転換期です。一種のバトンタッチゾーンみたいなものですね。
会社も、下請けから元請けに転換しました。父親とよく「下請けではなく、元請けとして小田島組の名前の看板で工事をしたいな」と話したものです。
しかし、父親は「そんなことをすると元請けからいじめられる」と言うのです。今はそんなことはないと思いますが、当時は実際にありました。
#呼び出されて怒鳴られる
#それは当たり前のことだった
#もちろん今はダメよ
しかし、会社の業績は鳴かず飛ばずで、元請けになってもその苦労は絶えませんでした。
そんな中、18期に社長に就任します。色々な指導やコンサルタントを経た上で、武蔵野の小山社長との一生のご縁をいただいたのが、20期のことです。
そこからの20年は、それまでの20年の数倍の「いろんなこと」がありました。
私が業界のルールを守らないせいで、悲喜交々の事件、体験、経験を積みました。会社も私もジェットコースターのようでした。
#たった一度の人生としては得難い体験できた
結果的に、社長就任時に40人ぐらいだった社員は小田島組単独で156人、グループ総勢で223人を数えるようになりました。
売り上げも、グループ全体で30億を超えています。そして、面白いのはここからです。
40年で会社もリセット、私も還暦でリセットです。更なる変化に挑戦しようと、意を決しているところです。
40期の経営計画書も、過去最高に変化しました。
#ワクワクドキドキが止まらない
私にとっての、一番の財産はこの「挑戦できること」です。
頼もしい社員がいて、家族に応援され、自分が健康でいる。このことこそが、まさに「有ることが難しい=有り難い」だと痛感しています。
今日は、大切な友人の経営計画発表会。そこで、たくさんの同士と会って勇気をもらって、7月5日の経営計画発表会に臨みます。
さあ、やるぞっ!!